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ダムタイプ

コラム

 

 

ダムタイプとはメディアを駆使したパフォーマンスを主軸にインスタレーションなどの表現活動を行うアーティストグループである。

京都市立芸術大学の学生を中心に、映像やデザイン、プログラミンなど様々な分野のエキスパートが集い、社会などに潜む様々な問題を彼らなりの表現で国内だけでなく、世界各国幅広く活動を行っている。

 彼らを語る上で不可欠な二つの作品について概観することにする。

まずひとつは1990年の作品「pH」である。

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「pH」は文明に翻弄される体というテーマが扱われる。1990年東京での上演を皮切りに、国内はもとよりニューヨーク、ウィーンなど世界各地で上演された。この作品はフェイズと呼ばれる13のシーンで構成される。舞台上には一人の男性と三人の女性が舞台上でパフォーマンスをする。コピー機のような光が舞台上に現れ、現代文明を象徴する存在となっている。パフォーマーはそれを避けるよに動くが行動を制限され、時には押しのけられながらおびえ続ける。

「pH」はパフォーマーとコピー機の光の関係性が人と文明の衝突に映る。

また男性パフォーマーはスーツという現代文明と言える格好をしているのに対して女性パフォーマーは無地のワンピースという文明的とは言えない格好をしている。むしろ舞台上の装置の一部という印象すら伺える。

スーツを身にまとい文明に翻弄されながらも働き続ける男性と現代文明という型にはめられてしまう女性の苦悩のようなものを私は感じた。

現代社会に寄り添う問題を根幹に、様々な表現を複合させ作られた「pH」は時代の最先端であり、芸術という手段を通して社会に問題提起しようとしているのである。

 続いて語るのはエイズをテーマに取り入れた作品「S/N」である。当時、ダムタイプの中心メンバーにいた古橋悌二HIVを発症していたことに加え、社会的にもエイズが問題視されていた。ダムタイプからしてみれば当然この問題は傍観できるようなものではなかった。また、「pH」のように問題をただほのめかす程度ですむものでもなく、彼らからして見れば身近に迫る恐怖をどう芸術、パフォーマンスと絡ませていくのか、ただの政治的主張ではなく芸術性を両立しなげれば彼らがそれを行う意味がない。その葛藤を想像するのは難しくない。

エイズという病を治療する術はなく、それでも人々の心に安らぎを与えるものは慰みの言葉ではない。

五感、心に訴えかける芸術が必要なのである。

そうした思想から自分たちの経験を形とした作品が「S/N」である。

 

 

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「ph」のように社会に潜む問題を抽象的に表現するのではなく、個人的であり、同時に政治的である主張を込めた「S/N」はダムタイプというアーティスト集団に変革をもたらしたと言える。

「S/N」は世間におけるノイズである同性愛者、エイズ患者が社会にシグナルを送るというものである。当事者であるからこそ見える視点から描かれるこの作品は芸術と個としての主張を両立させたものであり、人々の心に深く突き刺さることになる。それは決して押し付けではなく心に直接響かせていくのである。

「pH」から「S/N」への昇華は、結果としてより見る側に考えることを促していくことになる。無意識に社会の中で生活している人々に対し、真に迫る問いかけを芸術という姿で与える。芸術は無意識にそれを考えさせる。こうやって心の奥深くまで浸透していく。やがてそれは徐々に人々に根付き、やがて社会に変革をもたらしていく力となる。

それこそがダムタイプというアーティスト集団のあり方なのだろう。

 

 


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