パリ同時テロ そもそもISISとは?
パリで13日夜(日本時間14日未明)に発生した同時テロで市中心部の劇場やレストラン、郊外のスタジアムなどが武装グループの襲撃を受け、地元メディアによると、少なくとも127人が死亡、約300人が負傷した。
オランド大統領は14日、イスラム過激派組織「イスラム国」の犯行と断定。さらに、グループの支援者などが逃走している可能性もあるとして非常事態宣言を発令し、市民には安全が確認されるまで外出を控えるよう求めた。
読売新聞オンラインより
http://www.yomiuri.co.jp/matome/archive/20151116-OYT8T50103.html
ニュースを見るたびに心が痛む。
13日夜にパリで起きた同時テロの犠牲者は死傷者数300を超える。
オランド大統領はこのテロをISIS(イスラム国)によるものと発表した。
思えば15年1月7~9日 フランス・パリの週刊紙本社銃撃。パリ周辺の建物で立てこもりなども相次ぎ、計17人が死亡したテロもISISが関わっていた記憶がある。
ISISと聞けば私達日本人で知らない人はほぼ皆無でしょう。(1)
そもそもISISとはどういう経緯で誕生したのか。
構成員はイスラム教の中でも多数派であるスンニ派の教徒だ。
元々はアルカイダ(2)の傘下として活動していたが、ヴィンラディン(3)死後アルカイダの勢力が衰えるにつれて台頭したのである。
アルカイダから脱したISISはイラクやシリアを占領し、スンニ派の人々を吸収していく。それと同時に何千人ものシーア派イスラム教徒を処刑していった。
ここで疑問に上がるのが、なぜシーア派とスンニ派が争うのかということです。
イスラム教はスンニ派やシーア派以外にも様々な宗派がありますが、その中でもこの2つが特に信徒の多い勢力です。シーア派はムハンマドの娘婿アリーの血統者のみが正当なイスラム教徒であると主張しています。それに対してスンニ派はムハンマドの教えに従う人はイスラム教徒であるという考えをもっています。
シーア派の選ばれた人だけが指導者たる者という考えのもとスンニ派の人々に過酷な弾圧を加えてきた歴史があります。
その過程でそれぞれの宗派は異なる道を築いていくことになります。
このあたりはキリスト教(カトリックとプロテスタント)や仏教(小乗仏教、大乗仏教)でも似たような事案があります。
所謂、宗教の宿命というやつです。
何にせよこの対立が現代においても続いている。
その確固たる証拠こそISISというわけです。
考えの違い、生まれの違いで同じ民族、教徒、国民が争い合う。
世界の歴史はこれの繰り返しです。
近年で例をあげるならルワンダ大虐殺でしょう。
ウィキペディアの引用を載せておきますので興味がある人は読んでみてください。
ルワンダ虐殺(ルワンダぎゃくさつ、Rwandan Genocide)は、1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナとブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害された[1]。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人の間[2]、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されている。
ルワンダ紛争の末期に発生。ルワンダ紛争は、フツ系政権および同政権を支援するフランス語圏アフリカ、フランス本国[3][4]と、主にツチ難民から構成されるルワンダ愛国戦線および同組織を支援するウガンダ政府との争いという歴史的経緯をもつ。ルワンダ紛争により、国内でツチ・フツ間の緊張が高まるとともにフツ・パワーと呼ばれるイデオロギーがひろがり、「国内外のツチはかつてのようにフツを奴隷とするつもりだ。我々はこれに対し手段を問わず抵抗しなければならない」という主張がフツ過激派側からなされた。1993年8月には、ハビャリマナ大統領により停戦命令が下され、ルワンダ愛国戦線との間にアルーシャ協定(英語版)が成立したが、その後もルワンダ愛国戦線の侵攻による北部地域におけるフツの大量移住や、南部地域のツチに対する断続的な虐殺行為などを含む紛争が続いた。
1994年4月に生じたハビャリマナの暗殺は、フツ過激派によるツチとフツ穏健派への大量虐殺の引き金となった。この虐殺は、フツ過激派政党と関連のあるフツ系民兵組織、すなわちインテラハムウェとインプザムガンビが主体となったことが知られている。また、虐殺行為を主導したのは、ハビャリマナ大統領の近親者からなるアカズと呼ばれるフツ・パワーの中枢組織であった。このルワンダ政権主導の大量虐殺行為によりアルーシャ協定(英語版)は破棄され、ツチ系のルワンダ愛国戦線とルワンダ軍による内戦と、ジェノサイドが同時進行した。最終的には、ルワンダ愛国戦線がルワンダ軍を撃破し、ルワンダ虐殺はルワンダ紛争とともに終結した。
これを読んだ上でホテル・ルワンダという映画を見るとより理解が深まると思います。
気が向いたらこの映画の感想書くかも……
考えの違いで命を奪う。それはとても悲しい現実として今も世界に溢れている。
そのことを決して忘れてはいけない。
1 ISISによる日本人拘束事件 後藤健二さんと湯川遥菜さんのご冥福をお祈りします。
2 アラビア語で基地という意味。イスラム原理主義組織でイスラムを規範とする社会の構築を目的としている。
3ウサーマ・ビン・ラーディン。アメリカ同時多発テロ事件首謀者。2011年にパキスタンにてアメリカ海軍特殊部隊との戦闘の末、死亡したとされる。