リリィ・シュシュのすべてと花とアリス

僕は世間で言うとこの「大人」にあたる。 成人を超えれば、社会ではそう認識される。 それがお約束。 僕が生まれるずっと前からの決まり事。 僕個人がどう言おうが、それは変えようのない事実。 これから2つの映画について記事を書こうと思う。 ネタバレを含むので注意して欲しい。 「リリィ・シュシュのすべて」 「花のアリス」 2つとも岩井俊二監督の作品だ。 どちらの主人公も、まだ社会で言うところの子どもであり、とても狭い世界の中を生きている。 まずは「リリィ・シュシュのすべて」から触れよう。 

 

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中学生というもっともあやふやな時期の少年とその周囲を独特な手法で描きだした作品。 イジメ、自殺、レイプ、援交といった過激なテーマが入り混じる不快でカオスな世界と、美しい光に満ちた田園風景がスクリーンに映しだされている。 素晴らしい映像美とは裏腹に内容は非常に不快極まりない。 特に市原隼人演じる主人公「蓮見雄一」が忍成修吾演じる「星野修介」のイジメグループにリンチまがいのイジメを受け、無理やり自慰をさせられるシーンなどは嫌悪感しか抱かない。 少なくとも今の自分。 大人になった自分はそう感じている。 ならば子どもの頃……ちょうど、中学生の自分ならばどう感じるだろう。 思い出してみると、少し感覚が変わってくる。 人とは違ったもの。 キッチュ【1】なものへの憧れがあった。 今思えば痛々しい趣味だが、僕はドクロのアクセサリーを身につけ、ヴィジュアル系バンドの曲をひたすら耳にし、まさに典型の中2病【2】というやつに感染していた。 ただ「特別」でいたい。 そういう時期だ。 道を外れた生き方に羨望の眼差しを向け、並の生き方には嫌悪を抱く。 周囲の大人がただただ邪魔なだけ。 ペシミスティック【3】な思考だけが肯定される。  そのくせ自分を嫌悪し、それを誤魔化すために他人を傷つける。 口は本音を語らない。 でも、誰かに気づいて欲しい。 自分で書いていて、背中が痒くなってくる。 多かれ少なかれ、思春期をむかえた子どもこのような症状がでてくるものだ。 あの映画の主人公たちも例外ではない。 皆、それぞれ違う境遇にいる中で、自身に嫌悪し、特別でいたいと願っている。 だかからこそ特別な誰かに自分を投影していく。 蓮見雄一、そして星野修介にとっても、それがリリィ・シュシュという作中に登場するアーティストであり、唯一の救いなのであった。 残酷な現実へのアンチテーゼ【4】であると言える。 どこかで自分をダメにしてしまいたい。一種の破滅願望。 生きることが怖く、死ぬことも怖い。 誰かを傷つけたい。誰も傷つけたくない。 矛盾が常に寄り添うのだ。 それを言葉にすることが出来ない。 だから蓮見雄一も星野修介もリリィ・シュシュの歌声の中で、ただ泣き叫ぶしかなかった。 大人の僕は子どもの彼らには選べない道を進むことが出来る。 だが、彼らには目の前の道しか進むことを許されていない。 それが子どもであることの理不尽さを表している。 理不尽なまま彼らは苦海を渡っていく。 悲しい悲しい「フィクション」である。 続いて「花とアリス」について触れる。

 

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これはありえないほど陳腐で、勘違いばかりの恋を綴ったお話だ。
「花の女子高生」とはよく言ったものだ。
桜が舞う4月に鈴木杏演じる「荒井花」と蒼井優演じる「有栖川徹子」はリアルな息遣いをしながら歩いて行く。
それは演技というにはあまりにお粗末。素人がただ歩いていると言っていい。
そこに「華」は感じない。
その素人感こそがリアリティを引き出してくれる。

リリィ・シュシュほどの不快感はこの作品にはない。
例えるならば、少女漫画のような世界だ。
恋というありがりなテーマにレトリック【5】な映像とリアルな脚色を加える。
それが花とアリスという世界を構成しているのだ。

彼女たちは嘘の恋と周囲の環境に苦悩する。
仕事へのプレッシャー、家族への不安、友情と嫉妬、淡い恋心。
大人になるまでには必ず経験することだろう。
思春期にありがちな悩みというやつだ。
子どもである彼女たちはそれらに対する答えを求めながら日々、生きている。
それがかけがえのない日々であるという実感を得るために、たくさん傷ついて、たくさん泣いて、たくさん笑うのだ。
やがて培った思い出を引き出しに仕舞って、大人になっていく。
それでも現実は確かに「其処」にあった。
記憶となってしまっても、過去になってしまっても、其処に存在していたのだ。
それがたまらなく愛おしい。 

子どもというものは、何とも残酷な世界で生きている。
逃げ道はなく、言葉というツールは飾りでしかない。
周囲に映る自分と本当の自分へのギャップに苦悩する。
誰も答えを教えてくれないし、当人も何を悩んでいるのか言葉に出来ない。
袋小路の中で、それでも何かに救いを求めて、また別の苦悩を味わう。
必死に生きるのか、必死に死ぬのか。
そんな言葉遊びに真剣になる。
夜中になると、ふとこのまま、一生の眠りについてしまうんじゃないかと怖くなる。
それでも眠くなるし、朝は来る。
僕はそれを繰り返しているうちに、いつの間にか大人になっていた。

子どもの頃に憧れたお酒やタバコは、今や普通に買える。
コンビニに行って、店員に差し出せばすぐだ。
しかしなぜだろうか、あんなに煌めいていたものたちはすっかり色あせてしまった。
リリィ・シュシュ花とアリスも僕には遠い遠いセピア色のフィクションにしか映らない。
それはまるで寂寞とした深夜の街のようで……僕はため息しかでてこなかった。

 

1世間で言うとこの陳腐、低俗なもの。サブカル。2自己愛を揶揄した言葉。3悲観的4反対の理論、主張5技術