映画を語る猫

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ファスト映画について思うこと。ファスト映画は映画を苦痛にする。

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ファスト映画について

 

映画好きとして、ファスト映画については正直あまり話題にするのもいかがなものかと思う。

 

僕のような映画ブログをやっているような人間が果たしてファスト映画を攻められるのかというと微妙なところだろう。
確かに、映画の画像を引用の範囲で使用するのはルール上問題はない。

 

多くのブログ、レビューサイトではそれが行われている。
だが、それらの多くは、大方がストーリーを要約して、それより短い文章で感想書いてるなんてものがほとんどです。

 


これってファスト映画と何か違うの?っていうのは実に線引きが難しい。
実際、著作権法的にはとてもグレー。
部分的な要約であれば問題ないが、起承転結でまとめをしているのはアウトという判断もされかねない。

 

決定的な違いは映像を流用してるかしてないか程度の違いでしょうか。
まあ、映画に関してはそれは最もタブーな話だということは誰でも分かります。

 

映画は映像作品です。
文面でのあらすじまとめレベルの話ではありません。
何億という大金でつくられた映像がたったの10分に編集され、さらにそれらに広告をつけて垂れ流す。
とてつもなく悪質なのは言うまでもない。

 

 

ファスト映画の需要

 

ファスト映画は問答無用で悪なのは疑いようもない。
映画ブログなんて運営してる奴が攻められたものでもないが。

 

だがすごくもどかしい反面、言葉選びが難しいが「インスタントに楽しめる映画」というコンテンツとして「ファスト映画」は確かに需要があったのは間違いないのでしょう。

 

チャンネル登録者数や再生数などを見ればそれは良い証拠となるでしょう。
これは別に珍しい話ではありません。

 

例えば中田敦彦YouTube大学なんてまさに「それ」ですよね。

 

あのチャンネルって中田敦彦が分かりやすく書籍などの内容を解説するというものですが、結局のところ他人の著作物を勝手に無料の動画で内容公開し、広告で稼いでるわけですから「ファスト映画」と本質は大差ない。

 

ちょっと刺のある言い方をしてしまったかも知れません。
実際、中田さんの動画は、参考にしたブログのURLとか書籍とかしっかり記載してるし、ファスト映画とは雲泥の差です。きちんとビジネスとして成り立ってます。
中田さんごめんなさい。

 

 

そんなわけで、「要約」という部類のものは世の中にはいて捨てるほどにあって、どこまでに悪という線引きをするのかは難しい。
実際、導入としては決して悪い手法ではありません。
勉強の予習復習にちょっと似てる。

 

事前に要約した内容を入れてから本編に入れば、すんなりと内容を理解できるというのは学生時代に誰しもが経験しています。

 

そういう意味でファスト映画もその役割は果たしていたのかも知れません。

 

 

 

ファスト映画への皮肉。

映画は約2時間、人生を拘束するコンテンツです。
ストーリーがあり、起承転結までの流れをきちんと追うことを視聴者に強いる。

 

そこに息苦しさを感じる人が最近は増えてきてるのかも知れません。
ファスト映画需要を見てると、それはとても顕著に姿を見せます。

 

2時間を10分に削る。
一体、それは映画の何を削るのか。
時間なのか情報なのか。それとも価値なのか。

 

TikTokが人気の理由ってやはりあの短時間にあると思います。
たった数秒のファスト動画。
疲れない、考えなくていい、それで暇が潰せる。実にスマートです。

 

スマートであればあるほど良いというのが今の時代の流れです。
僕は広告を普段作っています。
そういう世界に身を置いているとそれがよく分かります。

 

 

誰も深く何かを見ることはしない。
文字は読まない。画像で完結するようデザインされてる。
広告は数字でそれを証明する。それは間違いなく現実なのだと思う。

 

 

確かに、僕にも心当たりはある。
最近ではYouTubeの動画も10分以上のものは面倒に感じる。
時間の拘束にとても不快感を覚える。

 

いつの頃からかそうなっていた。
いち早く結論を求めたくなる。

 

いつの間にか脳がすっかりファスト思考になっていた。
ああ、だったらファスト映画というのも肯ける。
これほど、素晴らしいコンテンツはない。

 

 

 

ファスト映画は映画を楽しむ時間が苦痛になる。


そう言えば、きちんと映画を楽しんで見たのはいつが最後だろうと考えると不安になる。

例えば、役者が沈黙しながら見つめ合う長尺のシーン。

 

はっきり言う。
早送りしたい。

沈黙の演技ほど映画にとってとても大切なスパイスになる。
目の輝き、表情の変化、ライティングによる演出。
かつての目には映ったものたち。
それが今はひどく退屈に見えてしまう。

 

ああ、そうか。
ファスト映画というものはこうやって思考を奪うのだ。

 

手っ取り早く映画を楽しみたい。
だからファスト映画に手を出す。
すると完成するのは映画を見るのが苦痛な一人の「映画好き」が生まれるのだ。

 

 

ファスト映画は映画を苦痛にする病。

要約というコンテンツは需要がある。
だがそれは自分の思考力を他人に奪われることに繋がる。
人間楽をするとそうなるらしい。

 

スマートに生きることは大事だ。
無駄のない生き方はとても素晴らしい。
けれど無駄を楽しむことを忘れてしまうと、きっと何もかもつまらなくなっていく。
映画なんて無駄が寄り集まってできてる代物だ。

 

ファスト映画は映画を終わらせてしまう。
映画ではない別の何かにする。
そしてそれは映画を苦痛にする病だ。

 

僕は映画好きでいたい。
だからやっぱり、どんな無駄なこともを全力で楽しもうと思う。